生まれたときからケータイがあったヤングたちにはこの寂しさは分かるまい! とおっしゃるご同輩、こんにちは。館長です。
ダイヤル式黒電話、プッシュホン、自動車電話(持てなかったけど)、ポケベル、PHS、ケータイ、スマホ、と、あらゆる電話類を経験してるのが僕らオッサン世代だ。
なかでも僕はPHSにはたいへんお世話になりました。
そのPHSが、来年3月でその長いだか短いだか分かんない歴史に幕を閉じるそうです。
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PHSの新規契約 来年3月末で終了 ピッチの歴史に幕
■(キャプチャ)PHSの新規契約 来年3月末で終了 ピッチの歴史に幕 | NHKニュース
通信大手のソフトバンクは国内で唯一手がけてきたPHS事業について、一般向けの新たな契約の受け付けを来年3月末に終了することになりました。これにより90年代をピークに「ピッチ」という呼び名で若者の人気を集めたPHSの歴史に幕を閉じることになります。
僕はいわゆる “家電(いえでん)” の権利を妹に譲ってしまったので、周りの誰よりも早い時期にPHSを持ちました。
当時は誰も携帯電話を持っていなかったもんだから、PHSといえども羨望の眼差しを集め、みんなに「貸して、貸して」と言われ大活躍したものです。
僕もちょっと得意げな日々を過ごしていました。
でもそんな日々は思ったよりもずっと早く終焉を迎えたのです。
PHSが登場してからの携帯電話の普及はものすごく早かった。
あっという間にPHSは「貧乏人の携帯電話」の地位に成り下がってしまったのです。
みんなの羨望の眼差しはすぐに憐れみの眼差しへと変わり、僕は「070(当時のPHSの番号)」を隠して生きることとなりました。
でも長いこと使いましたよ、僕は。
ケータイより安いからというのもありましたが、やっぱり愛着が湧いてしまって手放せなかった。
「家電(いえでん)」の無い自分の不遇時代を支えてくれた「糟糠の妻」のようなものです。
そんな妻を捨てられますか?
その後、iPhoneという派手で万能な美女に目がくらみ、結局は糟糠の妻を捨ててしまった僕ですが、妻たちの “亡き骸” は、大切に安置してあります。
今回のPHS終了のニュースを聞いて、久しぶりにPHS端末を引っぱりだしてみました。
僕が使ってきたPHS端末
いちばん左が最初の機種で、いちばん右が最後の機種なのは確かですが、あいだはちょっと入れ違っているかもしれない。
今も現役で活躍している端末は、いちばん右の「HONEY BEE」です。
「現役」といっても、PHSとしてではなく、目覚まし時計として、ですが……。
最初の付き合いは、この京セラ製の端末。
iPhone時代の到来を予言するかのように、アップルマークを貼ってご満悦だったあの頃の僕。
今の人は、「公衆」だの「家庭」だの見ても何のことだかサッパリ分かんないだろうなぁ。
そしてこれ! 「トレバ」ですよ!
これを端末のイヤホンジャックに差すと、なんとカメラになるのです!
まだ「写メ」なんて言葉も生まれていない頃、PHSでそれを実現させたこの「トレバ」は、まさに画期的イノベーションだったのですよ!
そして僕が最後に購入したPHSが……
この「Advanced/W-ZERO 3 [es](アドバンスト ダブリューゼロスリー エス)」(名前長げーよ)です。
が、これだけは僕の手元に残っていません。
なぜかというと、買ってすぐにバキバキに壊してしまい、修理に出したはいいけど、引き取りに行かないまま今に至っているからです。
今さらどのツラ下げて行けましょうか。(いや、もうショップも無いし)
このように、「僕の半生にPHSあり!」と言っても過言ではない(過言です)ので、PHS終了のニュースは、僕にとってはかなり大きなものでした。
いつまでも残っていく技術だとは思いませんでしたけど、無くなるとなるとやっぱり寂しい。
「寂しい」なんて言いながら、PHS端末の写真をスマホで撮ってるんですから、そりゃ無くなりますわ。
今はとにかく、「ありがとう。お世話になりました!」ということと、「あとは任せろ!」ということだけ、伝えたいと思います。が、何を任せろなのかは分かっていません。