ただの “若気の至り” なら、ここは微笑ましく眺めてあげるのがオトナ仕草ってやつだよね! とおっしゃるご同輩、こんにちは。館長です。
いきがってみたかったり、普通とは違ったことをしてみたかったり……そういうことをしたいお年頃ゆえのことならいいんだけど、心の底から本気でこう思ってるのなら、ちょっと怖い気はします。
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学習院大学卒業生代表による謝辞がイキりすぎてる
ありきたりの謝辞ではつまらないから「あえてこうした」のなら、まぁ、たまにはこういうのもいいかもね! ってなるかもしれないけど……。
私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。大した仕事もせずに、自分の権利ばかり主張する人間とは違う。
私たちには言論の自由がある。民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。
ここは、前後で矛盾してないかな?
せっかく良き大学を優秀な学績で出たのだから、「大した仕事もせずに」生きるしかない人でも言いたいことを口にする権利を保障されるような世の中になるために、その能力を使ってほしいな。
以前に話題になった上野千鶴子さんの東大入学式での祝辞を、この人はどのように感じたのか、聞いてみたいと思った。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
いっぽう、大学側の
※謝辞①は内容が謝辞として相応しくないといった意見もありましたが、本学部は多様な意見を尊重しオープンな開かれた学部でありたいと考え、原文のまま掲載しております。
ただひとつ私たちが願うのは、本学で学んだ学生の皆さんが幸せな人生を歩み、願わくば社会に貢献して欲しいということです。
この姿勢には感銘を受けました。
良き大学の良き姿勢。